同門会 挨拶

【会長】田仲 秀明 先生 (田仲医院 院長)

田仲 秀明 先生

平成25年5月より第3代同門会長を務めさせて頂いております。
さて第2内科の教授も初代三村悟郎先生、第2代高須信行先生、そして現在の第3代益崎裕章先生のご就任から10年近くの月日が経過致しました。この間、第2内科の我が国医学界におけるプレゼンスは飛躍的に高まっていることは皆様よく御存じの通りです。
さらに国際的な評価も高まりつつあり、第2内科の論文がDiabetologia誌の表紙を飾ったのも記憶に新しいところです。
OBの活躍も目覚ましく、基幹病院をはじめ各地区医師会あるいは行政機関等で多くの要職を占めており、沖縄県の医療を力強く牽引しています。まさに研究と診療の両面にわたって名門の名に恥じない実績を積み重ねてきたと言えましょう。
第2内科の同門がこの21世紀にさらに輝かしい歴史を刻み続けていけるよう、同門会は誇りを持ってバックアップしたいと考えています。
そのためには会員の皆様方の夢と力を結集させることが不可欠です。第2内科同門会を、同門の絆で夢を紡ぐ“同夢会”にしようではありませんか。今後ともご支援、ご協力のほど宜しくお願い致します。

【副会長】上江洌 良尚 先生 (うえず内科クリニック 院長)

上江洌 良尚 先生

第二内科同門会副会長を務めさせていただいております。
第二内科OB・OGの皆さんは、琉大では勿論の事、他大学でも教授や研究スタッフとなり素晴らしい業績をあげられている先生、地域の中核病院で管理職や中心メンバーとして活躍されている先生、医師会役員として尽力されている先生、開業し地域医療に貢献している先生など、県内外で幅広く活躍されている素晴らしいメンバーが揃っています。
また、琉大第二内科は益崎教授が就任されてから、以前にも増して、研究、診療、教育が活性化され世界的な業績を積み重ねられており大変頼もしく誇らしく思っています。
琉大第二内科同門会会員であることに誇りと自覚を持ち、OB・OGと現役医局員が協力して同門会をさらに活性化し発展させていきましょう。その橋渡し役になれれば幸いです。

村上 啓治 先生(村上内科 院長)

村上 啓治 先生

若き先生方へ

琉球大学医学部第2内科は、昭和56年(1981年)に設立され、早 37年となります(初代 三村教授、二代 高須教授、三代 益崎教授)。

現在の教室の隆盛とその研究および臨床の、日本及び世界での確固とした位置を思う時、その創設期に10年間関与した者として大いなる喜びが胸に去来するものです。

少し教室の流れを振り返り,未来へ向けての展望を考えてみたいと思います。 第2内科創設時は、臨床や学部教育の実践、研究の推進の為の人材の確保に大変苦労し、県出身医師を中心に全国に入局を呼び掛け、教室の基盤となって戴きました。その先生方は、現在 沖縄や全国で指導的立場で活躍されています。

当時の我々第2内科は 小さな存在でしたが、「国立大学医学部の内科としての社会の負託に応える責務」を自覚して、未来に向かうべく歩みを始めました。大学医学部の確立には30年から50年の長い年月が必要であることは、当時でもよく知られていました。その様な中で我々が考えたことは、1)琉球大学としての独自性を持つこと、2)現在何をすることが将来の役に立つかを考え行動すること、3)先行した医学部では、打破できていない事は、極力 琉大医学部では予防に努めること などです。

「ローマは 一日にして成らず」という諺があります。それぞれの時代・社会の状況において最善を尽くし、紆余曲折を経て前進し、成就するということです。では、なぜ ローマ帝国は 2,000年の長き年月存在することが出来たのでしょうか? ゲルマン人の体力には及ばず、ギリシャ人の知識には及ばず、そしてカルタゴ人の商才にもかなわない。歴史学者は、その理由を ローマ人の寛容性と誠実さにあると考えるようです。我々第2内科もこのように有りたいと思っています。もっともギリシャ人の知識に及ばずだけは願い下げたいですが。

現在の益崎教授のもとでの研究や教育・臨床の成果を拝見しますと、30有余年の歩みが正しかったことが示されている様に考えられ、大変誇らしい限りです。

私は、世界で三人の先人を尊敬していますし、少しでも近づけたらと夢を持っています。日本人では 大伴家持、中国では司馬遷、欧州では ローマ五賢帝の一人マルクス アウレリウス(在位 紀元161〜180年)です。マルクス アウレリウスは 政治家ですが、およそ医学の道にある方は、アウレリウスの生き方を参考として戴ければ幸いです。さて 日本の医学部出身者で初めてノーベル医学生理学賞を中山伸弥先生が受賞されました。私の出身大学の15年後輩です。
分化細胞の初期化を成し遂げ、医学進歩への貢献や医療応用への可能性が示されています。しかしながら、大学卒業後の歩みは決して順風満帆なものではありませんでしたが、「不断の努力」と「医学を通して人の為の医療に貢献したい」との思いが成し遂げた成果と考えられます。多くの日本人が山中先生に共感を感じていますが、その理由は彼の誠実さと、その謙虚さにあるのではないでしょうか。それは、マルクス アウレリウスの行動や思考に通じるところがあります。

これから 医学・医療の道へ進まれる若き先生方にお願いがあります。最初の10年間は 熱い鉄のように打たれて、知識の習得に務め、思考方法を鍛えること。次の10年間は そのことを基礎として知恵を持って行動すること。そして次の10年間は 医学・医療に見識を持つこと。さらに10年間は高い教養を持ってそれぞれの道を進んで欲しいのです。

何よりも 誠実に 真摯に 医学・医療の道に進みたいと考える若き先生方には、このような歴史を持ち、可能性のある琉球大学医学部第2内科に集まり、益崎教授と共に 未来を切り開いていこうではありませんか。

島袋 充生 先生 (福島県立医科大学 糖尿病内分泌代謝内科学講座 教授)

島袋 充生 先生

琉球大学 内分泌代謝・血液・膠原病内科学講座(第二内科)同門会の皆様

僕は、琉球大学医学科を卒業した1987年に第二内科に入局し、2011年2月まで在籍しました。足かけ24年在籍したことになります。その後、徳島大学、福島県立医科大学と赴任地が変わりましたが、益崎裕章教授、同門会の皆様には、継続して大変多くのご支援をいただいきました。この場を借りて心より感謝いたします。三村悟郎初代教授や村上啓治先生が始められた第二内科が、益崎教授の力強いリーダーシップのもと大きく華やかに発展していること万感の思いが浮かびます。どうぞ若い医局の先生方は、誇りをもってまた安心して第二内科での仕事に邁進していただければと思います。

医学と医療の進歩は、それに関わるわたしたち医療人ひとりびとりの絶え間ない努力の上にしか成り立ちません。しかし個人の力で達成できることはごく限られており、医学と医療の発展をともに求める同志が必要です。それも心から信頼できる関係、professionのスキルを高めあえる関係でなくてはいけません。僕は、第二内科同門会での出会いの中から、そのようなかけがえのない同志をみつけることができました。国内外どこいにっても、信頼できる人材とであう場所は中々ないというのが実感です。

若手の皆さん、医局や同門会を、人としてまた医師としてのスキルを磨くかけがえのない場であること知り、ひとりびとりにとって、かけがえのない出会いをみつけて下さい。そして人生を豊かに実りあるものにして下さい。